本棚のすき間でつかまえて

本の感想をばかりを書いているブログです。

ジョン・スタインベック「月は沈みぬ」 翻訳:龍口直太郎

これはノーベル賞作家(受賞は1962年)であるスタインベックが1942年に出版した作品です。ドイツに対するノルウェー市民の抵抗を描いた内容であり、このことにより1945年にノルウェー国王から勲章を授けられているようです。以下あらすじと感想。

 

簡単なあらすじ

ドイツ軍の侵略によってノルウェーの、とある町が占領されてしまう。
この時、ノルウェー軍は郊外に出払っていて町には12名の守備隊しかいなかった。戦闘になるとドイツ軍にあっという間に攻め滅ぼされてしまいノルウェー軍の被害は――、死者6名、負傷者3名だった。
ドイツ軍はこの町の鉱山から石炭を運び出す指令を受けている。だから町を混乱させることなく占領下に置きたかった。
ドイツ軍のランサー大佐はオーデン市長を呼んで、軍はこれ以上危害を加えることはない旨を市民に伝えてもらおうとした。人格者であるランサー大佐は無用な争いを嫌っていた。これ以上死者が出ることを望んでいなかったのである。
オーデン市長は「それは市民次第だ」と返事をした。もし市民が見限れば市長の役職など簡単に無に帰すのだから、自分の言葉には力はないと言った。
数日が経った後、鉱山で市民が一人のドイツ軍兵士を殺すという事件が起きた。ランサー大佐はすぐさまオーデン市長を呼んで、ドイツ兵を殺した人間に刑を与えることを求めてきた。ここでオーデン市長は聞き返した――、であるならばこちら側の6名を殺したドイツ兵に対してどのような刑で望むのか?と。
ドイツ軍は力を行使して、市民を抑えつけることは可能だった。ドイツ兵を殺した市民を軍の理由でもって処刑してしまうことも可能だった。けれどもランサー大佐はそのことが混乱をもたらすことを知っていた。だからオーデン市長の協力を求めたのである。これ以上、力による制圧をすることなく市民の混乱を静める方法を模索し続けた。
しかし市民の反抗は止まらなかった。自由を求める市民は石炭を運ぶためのレールを壊し、ひとりふたりとドイツ軍の兵士を殺していった。混乱は深まるばかりだった。ドイツ軍の将校は疑心暗鬼に陥ってしまいどんどんと疲弊していくばかりだった。次第に平和的な解決は難しくなっていき結局ドイツ側は力を行使して市民を抑えつけようとし始めるのです。

 

個人の自由は決して侵せない 

今作には、この時期における帝国主義に対する否定があるのだと思われます。どんな形であれ力による現状変更は許されない。スタインベック(1902-1968)の時代には二つの世界大戦があり、それを肌身で感じた著者ゆえに反戦の想いを込めているのだと思われます。
表現としてコントラストが利いていると思わされたのはドイツ軍側の指揮官であるランサー大佐が人格者として描かれていることでした。軍人としての職務をまっというしている。軍人としては立派な人間――、ただしそれでも市民は抑えることが出来ないのです。このねじれの表現は、誰であろうとも関係なく戦争は誤りであるという意味だと思われます。
オーデン市長も同じです。市長も毅然とした態度で立派に対応しますが、彼にしても市民を止めることは出来ないのです。もし市民が否と言ったとしたならば、その瞬間に市長はただの人となるわけです。ただしオーデン市長のキャラクターが立っているのは、市長自身が市民から選ばれたに過ぎないことを理解しているあたりの控え目さであり、ここにもまた民主主義の根本が表現されているところだと思われます。。
最後に市民です。市民の反抗が意味するものは自由は何ものにも決して侵すことは出来ないこと――、ドイツ軍も市長も関係ない。武力では人々の自由を縛り付けることは出来ない、市民がひとたび立ち上がり、それが大きな民意となっていくならば決して負けることはない力となることを表しているのだと思われます。

まず最初にあるのは個人なのだと思います。個人は占領を認めない。個人は反抗する。個人が武器をとる。そんな意志のある個人の集まりだけがゆくゆく大きな流れをつくりだして何かを変えていく。時には大きな力にねじ伏せられることがあったとしても、屈服しない限りは個人の自由は決して侵されることはないということを描いているのだと思われます。

  

月は沈みぬ (新潮文庫 赤 101B)

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