本棚のすき間でつかまえて

本の感想をばかりを書いているブログです。

岩城けい「さようならオレンジ」

「さよなうなら、オレンジ」を読みました。今作は公募による新人賞である太宰治賞を受賞した岩城けいさんのデビュー作。その後、単行本が筑摩書房より出版されると芥川賞の候補作となり、三島賞の候補作にもなった。この二賞は候補で終わったけれども――、大江健三郎さんによって選考される大江健三郎賞を受賞することとなっている。なので当時(2014年頃)には文学方面でけっこう話題になったような記憶がある。事実、その年の本屋大賞は4位になっているから結構売れたのではなかろうか。

読んでみると今作、日本ではこれまで書かれてこなかったタイプの小説かもしれないと思わされる。舞台はオーストラリア。アフリカから難民としてやってきた女性・サリマが主役の一人として描かれるグローバルな設定です。見知らぬ土地で暮らしていくからには、地元の言語(英語)を身につける必要があるなかで個人のアイデンティティとは何なのかを問うていく。言語の習得過程での葛藤を書き表し――、加えて肌の色の違いにより異端者としての存在することの苦悩を表現する。
著者のプロフィールを見るとオーストラリア在住とあるから(大学卒業後、渡豪とある)経験が書かせたところはあると思う。言葉とは何なのか――、作品中にもチョムスキーの名前が出てきたりするので言語理論をも勉強された上で今作は描かれていることがうかがえる。
現在、難民問題が起こっていることから解るようにこの事柄が世界のトピックであることは間違いない。偶然か狙ったのかは解らないけど岩城さんはこれを2013年に書きあげている辺りに、何かの鋭さがあるように思わされる。

今作にはサリマの他にもう一人の主人公がいる。夫の都合によって渡豪した日本人女性の「わたし(サユリ)」である。わたしは何やら文学的な創作を行っているらしく(読んでいる最中は何をしているのか詳細は解らない)言語には並々ならぬこだわりがある人物のよう。わたしは地元の英語学校でサリマと一緒になった。
海外赴任の夫についてきた日本人女性――、対して難民としてやってきたアフリカ人女性。二人の対比によって生まれながらにして与えられた境遇の違いを意識させるつくりになっている。
今作、サリマとわたしの章とが交互に入れ替わって進んでいく。変則的なのはわたしの章が「日本にいたころお世話になった英語教師のジョーンズ先生に宛てた手紙」という体で描かれていること(拝啓ジョーンズ様、わたしは今○○していて、という手紙の文面で描かれる)。
視点が切り替わっていくなかで、サマリの視点、その時わたしはこう感じていた――、という感じで、ひとつの事柄を多面的に描いて立体感を出している。加えて手紙にしたことには「この小説をひっくり返す」役割があったりして、この著者はデビュー作にしながら色々なアイデアを仕込んでいて侮れない。とまあ実験的だったり描いていることがワールドワイドだったりと視点が広くて面白い。国内のことばかりになってしまう小説とは一線を画すあたりは新しいタイプの小説だと思われる(日本では)。

さて今作、言語がひとつのテーマとなっている。人間にとって言語とは何なのか。話すこと、読むこと、書くこと、日本に住みあたりまえに日本語をあやつる僕にとっては深く考えることのなかったけど、いざ言葉が通じない国で生活することになったらどうなるのか……
サリマもわたしも見ず知らずの土地に投げ出され、そこでやっていかなければならないことには変わりはなかった。ただしそこでの勉強姿勢には互いの境遇の違いが現れた。サリマは生活のため――、わたしはそれ以上を求めていた。生きていくために必要最低限を求めたサリマと、創作のために必要以上を求めたわたしの差は見た目にも明らかだった。二人は深い交流があったわけではないが、サリマはわたしに嫉妬をした。恵まれた境遇をどこかで羨んでいたのである。
このように今作は言語という個人があたりまえに身につける能力に差をつけることで、それすらも持てる者と持てない者がいることを浮き彫りにする。
これは貧困による教育格差に置き換えるとなんとなく想像がしやすいかもしれない。それが実は言語にまで及ぶことに気がつかせる辺りは著者の着眼点の良さが際立っている。
言葉が解るということはその土地に慣れること――、その土地で生活する実感を得ること――、その地域に溶け込むためのコミュニケーションが得られることなのだと思う。当初のサリマにはその余裕がなかった。だからサリマはオーストラリアに来ても疎外感を拭うことが出来ないでいる。サリマは孤独だった。異端として存在する自分には気をゆるせる相手はいなかった。だからサリマは仕事にのめり込んだ。そしてある日に、わたしがサリマの職場にやってくる(働くために)。わたしの身の上を考えると何故似合わぬ職場で働きたがるのかがサリマには解らない。そしてサリマは反発する思いを抱くのである。ここまでで本作のあらすじの1/3程度。

中盤くらいまでは、その後の展開がどうなるのか? そして言語という根本的な能力を身に着ける過程でどのような心境の変化が生まれるのかの描き方が上手くて面白い。ただし中盤以降は言語というテーマが物語のなかで大きなウェイトを占めなくなっていって、どちらかというと個人的な話へと舵を切っていく。サリマとわたしの物語――、二人の葛藤が話の中心となる(どちらかというとプロット重視……)。水と油の関係はどうなっていくのか?
好き嫌いの話になりますが、後半の展開はやや物足りない。話自体はラストの大団円へと向けて、ひとつひとつ問題は片付いく。緊張が解けていき全てが丸く収まり――、解り合えなかったはずの者同志が、互いになくてはならない存在へと変っていった。
これは好みの問題なのですが……、小説は物語なんだから夢や希望を描いてほしいというタイプの人には良い話なんだと思う。僕はそっちじゃないから、良い話になり過ぎるとどこかが醒めてしまう。
ラストには小説をひっくり返すひとつの仕掛けがあって、この話の成り立ちの正体が明らかになる。しかしそれも仕掛けとしての仕掛けであって、この小説の意味を変えるものにはなっていない(多少の驚きはある)。

岩城さんは次作では「坪田譲治文学賞」しているし世間での評価は高い。今後もまた日本では描かれてこなかったタイプの作品を期待したいと思います。 

さようなら、オレンジ (ちくま文庫)

さようなら、オレンジ (ちくま文庫)