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本棚のすき間でつかまえて

本の感想をばかりを書いているブログです。

サミュエル・ベケット「ゴトーを待ちながら」 翻訳:安堂信也・高橋康也

これはウラジミールとエストラゴンの二人が、ゴドーという人物が来るのを待つ話。二人はゴトーを待ちながらたわいのない話を繰り返している。舞台は木が一本だけ立っている田舎道。いつまで経ってもゴトーはやって来る様子はない。「立ち去ろうか」「いやゴトーを待たなければ」というやりとりを繰り返し、例えばいざ立ち去ろうと決めたとしても、二人はその場から動かない。
これはすべてに何かの寓意が含まれているように思われる話です。けれども一向にそれが何なのかは解らない。
とにかく不思議な作品。難しいことは書いていない。読んだ通りに頭のなかで想像が出来るし、そこではちゃんと一本のストーリーを作りあげることが出来る。でも振り返って考えてみても、それが何だったのかが解らない。しっかりと読んだのに、把握も出来たのに、全体像が解らない。それどころかそれぞれのモチーフも何だったのかすら解らない。まったくのお手上げ状態――、でも面白いものを読んだという気持ちになるのが不思議なところ。

まず気持ち悪いのがこの二人が誰なのかが解らないということ。何を目的としているのか、何故ゴトーを待っているのかが解らない。二人の関係性も解らなければ、どのような人物なのかも解らない(wikiには二人は浮浪者と書かれていたけれども、作中にはそれを示す明確な記述はない)。
解るのはひとりは足が臭くて、ひとりは口が臭いこと。やりとりのなかで「自殺をしてみようか」というくだりがあるから、二人は死を恐れている様子がない。「あれはゴトーか?」というやりとりから二人はそもそもゴトーなる人物には合ったことがないようだ。
あっけらかんとした二人のやり取りからは生々しさは感じられない。もちろん感情はある。喜怒哀楽もある。ただ我々がもつ一般的な感覚とはズレているように思われる。何かを達観しているようだけど、それでいて俗っぽいことをさらりと言ったりする。悲壮感はない。楽しげでもない。どちらかというとあやつり人形や機械仕掛けの人形の話でも聞いているような感じ。時々、二人は存在していないのでは? とも思えるし、あるいはこれは一人の人間の心のなかでのかけ合いのようにも思えたりする。
これでは何も言っていないに等しいのだけれども、ただ――、「何も言っていない」というのも、またひとつの正解のようにも思われる。とまあ、答えのないところでグルグルグルグル思考はめぐり、いつまで経ってもどこにもたどり着かない……
話のなかで動きが生まれるのは途中、ポッツィとラッキィという奇妙な人物が登場すること。何かが動き出す予感――、しかしそれでも動かない。ただただ奇妙な二人が現れる。
ポッツィはラッキーの首にロープをくくりつけている。ポッツィはこれから「ラッキーを市場に売り飛ばしに行く」と言う。ラッキーは嫌がる様子は見せない。ただ、ポッツィの言うことは何でも聞く。踊れと言われれば踊る。考えろと言われれば考える。ポッツィはラッキィの行動は自分に気に入られたいがためにやっていると言う。ポッツィはラッキィと自分の立場について、互いは「そう生まれついたのだ」という哲学を披露する。それがこの世界を表す言葉かと言われれば、そうとも思えるし、空疎なたわごとにも思える。
他にも四人が集まるこのシーンでのやりとりは色々とある。ポッツィが食べ終えた骨付きの肉をエストラゴンが拾い上げて、しゃぶりつくという面白い場面が描かれたりする。ただ基本的には何も起きない。やがてポッツィとラッキィは去っていく。
そして日が暮れかけるころになり、一人の少年がゴトーの伝言を告げにやってくる。「ゴトーは今日は来れないが、明日は来ると言っている」と二人は少年に言われて、第一幕が閉じていく。

第二幕もほとんど構図は同じです。あいかわらずゴトーはやってくる様子はありません。途中でポッツィとラッキィは再び現れます。その時、何故だかポッツィは盲になっている。ポッツィは転んで立ち上がることが出来ずにウラジミールとエストラゴンの二人に助けを求めたりする。ここでは第一幕では偉そうにしていたポッツィの落ちぶれた様子が描かれる。その他、変わった点としてポッツィは二人のことを覚えていない。二人はポッツィのことをはっきりと覚えている。
第二幕がはじまった時には、第一幕の翌日だとばかり思っていたのに(疑うこともなかったのに)ポッツィが現れると急にそれが疑わしくなっていく。一幕と二幕との間にはずいぶんと隔たりがあるのか、それでもやはり翌日なのか……。二幕ではそれだけではなく今が夕方なのか朝なのかすらも解らなくなっている。混沌とした様子は一幕よりもさらに色濃くなっている。流れは第一幕同様にポッツィとラッキィは去っていき、その後で少年がやってきてゴトーの伝言を告げていく。
つまりは多少の変化はあるもののゴトーを待つという目的は達成することが出来ずに終わっていく。あるいは繰り返しを予感させる。永遠にウラジミールとエストラゴンの二人はゴトーを待ち続けるのではないか?と想像してしまう。とまあ終わりと始まりとでは、ほとんど何も変わらないままこの話は終わっていく。

本を置いて色々と考えてみたけれども、一向に何も解らない。ゴトーが「ゴッド」に似ているだとか、ゴトーは死を表現しているだとか、ネットを覗けば色々な解釈が成されているようです。そう言われるとそんな風に思えるし、そうかなーと疑いたくもなる。時々、突拍子もない解釈があって面白いなーと関心してしまうこともあった。自分を含めて誰もが答えを見つけたがっている。それぞれのなかで何かの解釈が生まれて消えていく。人は自分が見たように見る。だから僕も僕なりにいろいろと解釈しながら読んでいたように思う。あらためて考えたところで何かが生まれるとも思えない。ただページをめくっていた瞬間瞬間に生まれていたものこそが、この本から得た大切な手触りだったようにも思える。とまあ何を書いても残念ながら曖昧なことしか言えないような…… でも今作はそれで言いように思える。いつかまた再読したときには、その時の解釈があるのだと思う。

 

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)