本棚のすき間でつかまえて

本の感想をばかりを書いているブログです。

アンドレ・ブルトン「シュルレアリスム宣言 溶ける魚」 翻訳:巖谷國士

シュルレアリスムの生みの親であるアンドレ・ブルトン(1896-1966)が1924年に起草した今作「シュルレアリスム宣言」。これは新たな芸術、縛りつけられた魂の解放、既存の価値観からの脱却などを求めた宣言だが、この内容は当時の人たちには衝撃をもって受け止められ、議論が生まれ混乱を呼び起こしたようです。
今現在を生きる我々にとっては前衛的な作品や魔術的な作品、幻想文学などなど、変革の先に生まれたものがひとつのジャンルとして確立しているのを知っているから、あまり不思議に思わないかもしれないが――、これを読めば間違いなくここら辺(今作辺り)にそれらの源流があることが解る。ブルトンがその後の文学にどのくらいの影響を与えたかは計り知れない。読んで驚いてしまうのだけれども、あまりにもこの宣言の内容は洗練されている。ひたすらに芸術に対しての真摯な姿勢をつらぬくブルトンの様子に感動してしまう。
少し前に読んだ「ナジャ」が面白かったから、どんなものか……、と少し懐疑的な思いを抱きながら(だって、〇〇宣言なんて自分で言うのはどこか滑稽じゃないですか……)読み始めた今作だったけれども、いざページをめくってみれば全てが想像以上でうれしい誤算。なるほど2作品を読んでアンドレ・ブルトンという人物がシュルレアリスムを生み出したのは必然であることが理解できた。この人物のもつ想いの熱量が新しい扉を開いたことが理解できた。

ブルトンはまずきっぱりとシュルレアリスムとは何かを定義する。以下引用。

男性名詞。心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。

最近ではシュルレアリスムは「シュール」という使われ方がされ、不思議な現実とか、奇抜ながらも現実感があるものとか、非現実と現実とが絶妙なバランスを保つものなどに対して、その言葉が使われている。元々シュルレアリスムとは日本語にすると「超現実主義」と訳され、言語化される以前の思考にひとりでに浮かび上がってくるイメージをそのまま表現することに対して使われる言葉である。もっと直観的で瞬発力のある、人間の思考の広がりであり、わけの解らなさを拾い上げるものなのだと思う。ブルトンフロイトが夢による精神分析にとても興味を持っていたようで、今作でも夢を見ている時の自分ではコントロール出来ない状態の中で生み出されるものに芸術の可能性を求めている。つまりは言語化され誰からもひとつの形として固定されてしてしまうイメージを嫌っている。人間の思考は本来はもっと掴みどころのないものであり、そこにこそ面白味があり可能性があるということを強く主張しているのだと思われる。

今作には「シュルレアリスム宣言」の他にもう一遍「溶ける魚」という中編小説が入っていて、この「溶ける魚」にこそブルトンの自由な連想が表現されている。この小説には自動記述という企みがあって――、意識や技術の支配を受けることなく、とにかく思い浮かぶまま、束縛されない本性にしたがって、ひとつの小説を描こうとしている。
で、読んでみるとこれが解らない。常識では考えられない描写が続いていく。意味をとらえようとするほどに混乱する。とにかくイメージが爆発した自由な発想が生み出した――なんじゃこりゃ!な作品になっている。
でもこれが不思議なことに……、突拍子がないほどに、逆説的に、普通というものが浮かび上がる装置になっているから面白い。何がおかしいのかを探すということは、反対にある普通を見つけることになる。矛盾する部分が頭の中で反転しようとする。
まあ、だからと言ってトータル(全体として)で何か大きなものが浮かび上がるわけではないんだけど(僕の場合は……)、それでもこれは得も言えない感覚にさせられる芸術を見ている時の感じと近いと思わされた。
ただ「溶ける魚」に関してはこの後再読することはおそらくない。正直読んでいて結構疲れた。まあこの読書体験はブルトンが求めたものの一端を知るという意味では理解が進むものだと思う。だから読めて良かった。ブルトンがやりたいことを垣間見れたように思えた。
望もうと望むまいと、人間の頭のなかには膨大なイメージの世界が広がっている。それは当然、言語という形に置き換えられるものばかりではない。むしろ置き換えられないものばかりなのだと思う。自分が正しいとするものは何なのか? それは己の精神が混沌のなかから現実にピントを合わせること。言語によってくっきりとした輪郭が与えられることによって発想を捉えることが出来る。しかし多くのものがそこではこぼれ落ちている。だからこぼれ落ちたものを再び拾い上げる――、それこそが我々が現実と思っている以前の「超現実」。ブルトンが求めたものは、人間がつくり上げた世界では形になれないものばかり。しかしそこにこそ人間が本来持っている可能性がある。ブルトンのいう「シュルレアリスム」とは言語以前であり、ひるがえって得られる現実を超越した何か(もはや言葉には出来ない)ということなのだと思う。

 

シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)

シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)