本棚のすき間でつかまえて

本の感想をばかりを書いているブログです。

チャールズ・ブコウスキー「パルプ」 翻訳:柴田元幸

男は「最高!」と言い、女は「最低!」と言う

コレクションとして本棚に並べるために買った1冊。以前に図書館で借りて読んだことがあったので、この本は棚へと直行するはずだったのに……、つい1ページ目をパラっと開いたが最後、止まらなくなりました。ということで再読しました。この小説は面白い。というか面白過ぎる。あとがきで「チャールズ・ブコウスキーの遺作にして最高傑作」と書いていたけれども最高かどうかば別として傑作だと思います。

ブコウスキーは50歳から作家業に専念して50作に及ぶ著作を発表しています。短編が味わい深いのでまだブコウスキーを読まれていない方はまず「町でいちばんの美女」(短編集)あたりから入って、次に今作(長編)をおすすめします。というのもブコウスキーの小説は型破りなところがあって普通の小説だと思って手を出すと面食らってしまうところがあると思われる。

何が? というと「ろくでもなさ」「どうしようもなさ」「愚かさ」などなど。主人公はオッサン――、ブコウスキーの小説にはヘンリー・チナスキーという著者の分身的存在が出てくることが多いが、今作はニック・ビーレンというオッサン。どちらにしてもろくでもないことには変わりがない。面食らう要素としては「露骨」であること「人としての底辺の感じが半端ない」こと「欲望に忠実がゆえに身を崩している感じが、これまた半端ない」ことなどが上げられる。イメージとしてはダラシナイ格好(黄色い歯、もしくは歯抜け ←あくまでもイメージとして)。日中から酒をあおっている、賭けごとが好き、女好き(←ここら辺はあてはまる)。競馬場に入り浸って新聞片手にレースにくぎづけになって一喜一憂している感じ(←これは半分あてはまる)。ブコウスキーの小説はそんなオッサンが主人公という少し変わった特色があるんです。なので男性(特に中年男性)は「最高!」と言い、女性は「最低!」と言うタイプの小説かもかもしれません。

 

これはどんな話か?

主人公ニック・ビーレンは探偵をやっている。自称「名探偵」。時間あたりの料金は6ドルと破格。ただし成功しているようには見受けられない――、むしろ探偵業は閑古鳥が鳴いている状態。日銭を稼ぐのに必死という状態。事実、大家からは滞納分の事務所の家賃をさっさと払え――、でなければとっとと出ていけと言われている状態。
ある日にとびきりの美女があらわれる。彼女は自分のことを「死の貴婦人」と言い「セリーヌを捕まえてほしい」とビーレンに依頼をしてくる。セリーヌとはルイ=フェルディナン・セリーヌ――、実在したフランスの作家(厭世的な作家)であり、とっくの間に亡くなっているはずの人物なんです。「セリーヌは死にましたよ」と言うビーレンに対して貴婦人はしつこく引き下がろうとはしない。ビーレンはしかたなく依頼を受け、疑いながら貴婦人に言われた古本屋に立ち寄ってみると本当にそこにはセリーヌがいる。棚の前でセリーヌトーマス・マンの「魔の山」を立ち読みしていて「こいつは退屈をゲイジュツだと勘違いしている」なんてマンを揶揄している。過去の偉人が同じ時代に生きた偉人を酷評しているという痛烈な描写のはずなのに、古本屋の店主は「そこのおまえ、買うつもりがないなら出ていけ!」と怒鳴ったりする――、名誉も名声も庶民にとっては関係ないと言わんばかりの滑稽さ……
登場人物はそれだけではない。赤い雀を見つけてくれという依頼者が現れたり、妻の浮気を調査してくれという依頼人が現れたり、宇宙人につきまとわれている(その後で実際に宇宙人は出てくる)から助けて欲しいという依頼者が現れたりする。つまりこれは何でもありの小説。そんな話が面白いのか? と言われそうですが、これが面白いんです。そもそものコンセプトからしてガチャガチャしたものをブコウスキーは書こうとしている。あとがきで翻訳者の柴田元幸さんが解説してくれていますが――、以下引用。

表第の『パルプ』とは、かつてアメリカで太陽に出版され大量に消費された三文雑誌のことをさす。製紙原料に安価な木材パルプをもっぱら使用したことからこの名がある。高級な光沢紙を用いた「スリック・マガジン」に対し、粗悪なザラ紙を使ったこれら「パルプ・マガジン」(あるいは単に「パルプス」)は、その内容も。お粗末な探偵・冒険・SF・エロ小説などが中心であった。入れ物も中身も、どこまでも安っぽかったわけである。

 (翻訳者:柴田元幸氏 あとがきより)

というあたりを意識して描かれている。じゃあやっぱりくだらないのだろうと思われるかもしれませんが、確かにくだらないんです。でも、くだらなさが面白い………… うーん(苦)、ブコウスキーの魅力を伝えるのは難しい。

 

ブコウスキーが何を語るのか?

――例えば、面と向かってどうしようもないオッサンの話を聞くのはつらいと思うけど、テレビを通してだと見れたりする。いや、結構おもしろがって何を言うのかに興味をもったりする。その瞬間は他人事のつもりでニヤニヤしながら心のなかでは「やれやれ」なんて思っていたりするのだけれども……

とは言えその時の気持ちをよくよく考えてみると――、自分と違う人種だと思っているのではなく、自分のなかのどこかにも同じ気持ちがあることに気が付いているから皮肉を感じて面白ろがっているのだと僕は分析する(自分と共通するものがなければ関心はもてないし、きっと皮肉な思いも生まれないはずだから)。自分では口には出さないことをオッサンが露骨に言っているのが面白い――、今作の魅力はそんなむき出しの感じなのだと思う。身も蓋もないことを平気で言ったりやったりしてる、あるがままの感じがウケるのだと思われる。

そもそもブコウスキーの小説を読むときにはプロットなんて気にしていないのかもしれない。オッサンが言うこと=ブコウスキーの代弁であるから、ブコウスキーという不良老人が主人公に何を語らせるのかを読みたいのだと思う。楽観的悲観主義――、ブコウスキーの描く文章には達観に似た何かがあって、最後には死が待っていることを解っていながら退屈でドン詰まりの日常を描いている感じがある。一日一日と死に向かって過ごしていること読者に気付かせながらも、その事実を可笑しみを込めて描くから文章にどことなく哀愁が漂っている。書いていることがバカバカしいほどに裏に潜ませている覚悟のような凄みを感じる。愚かな話なのに何故だか時々グッとくる。ブコウスキーの魅力はそういうところなのだと思う。こればかりは読んでもらわないと伝わらない。ハマる人はとにかくハマる。ブコウスキーの作品には愚かな人間たちを虜にする何かがある。

 

パルプ (ちくま文庫)

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