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本棚のすき間でつかまえて

本の感想をばかりを書いているブログです。

モーパッサン「女の一生」 翻訳:新庄嘉章

箱入り娘がみた夢

自死で生涯を閉じようとしたモーパッサン。今作を読むとモーパッサンが人生というものをどう捉えていたのかが解るような気がする。
今作はプロット自体は現在においてはよくあるもので、将来を夢見る娘(箱入り娘)が大人になり現実を知って絶望を味わうというもの。
貴族の家に生まれ何不自由ない青春時代を送ったジャンヌ(主人公)の前には輝ける未来があるはずだった。ジャンヌは美少年のジュリアンに出会い恋をした。ゆくゆくそれが実って結婚をして人生のレールを順調に進んでいるはずだった。しかしジュリアンは女癖が悪く、金に執着するケチな男だったことが後から解る。優雅に過ごしていたジャンヌの生活は一変し、貴族としてはみすぼらしいものになっていく(ジュリアンが贅沢を許さないために)。ジュリアンに裏切られ絶望を味わったジャンヌは、それならばと子供にすべてを捧げるようになっていく。しかし過剰な愛情を与えたせいか、息子のポールは大きくなっても金の無心ばかりをするようなろくでなしになってしまう。ポールの借金のせいで屋敷を売り払うことになり――、財産がなくなってしまえばポールからの連絡もなくなってしまう、という踏んだり蹴ったりの話です。
最後の最後にちょっとだけ明るい一面はあるけれども、基本的には人生のせちがらさや不条理さに焦点をあてて書かれた作品です。「そうなんだよ人生ってこうなんだよ……」とため息をつきたくなるタイプの、それこそ現実というものを容赦なくまざまざと書く話なので「小説は小説なんだから夢を見させて欲しい」という人には駄目な作品だと思います。

 

不条理を描くために……

現実に辺りを見渡せば身の回りにもジャンヌのような人っていると思うんです。だから我々はこの手の複雑さに苦しむ人の姿は嫌と言うほど見ているはずなんです。だから驚くことではないけれども、小説のなかで一人の女性の人生として悲惨ないきさつを読み続けるのはなかなか辛い――。ジャンヌがすがる希望がことごとく裏切られ、辛い目ばかりに合うというのに、げんなりしてしまう。ただ「現実に生きることの厳しさ」を描くとするならば、理想との違いであり、叶わない願いを描くしかないから、この手の小説はこうなるしかないんです。たぶん。
それが見事に表現されている要因には、主人公ジャンヌの性格にあったんだと思います。ジャンヌは情が深いんです。人の良心を疑うことを知らない。かけた愛情の分、何かが育ってくれると信じている。信仰心があって、神に背くことを恐れている。ジャンヌはとにかく何かにすがっているんです。それが神そのものだとは言わないけれども、神的なもの――、ある意味自分はけっして悪徳なものになびかないから、少なくとも不幸には陥らないでいられるのではないか、という安易な理想を抱いている。それがことごとく裏切られていき、ジャンヌは打ちのめされ絶望の底に沈んで行くわけなんです。
コントラストを効かせるためによりつつしみ深く、人生を肯定的にとらえている人間を描いてあえて落とす。だから読んでいるこちらも受けるショックが大きくなる――、というつくりになっているんでしょうね。
悪人でも善人でも関係ない。むしろ悪人が善人以上に何かの恩恵を享受しているなんてのは、よくある話かもしれません。そうであったなら――、我々は何を拠り所に生きていけばいいのか。考えれば考えるほど絶望しちゃいます。
モーパッサンは最後に、それでも人生をやっていかなければならないという意味で、とある一文で締めくくるんです。それはごくごく当たり前のことなんですが、長々とこの作品を読んだ後だと強く心に沁みてくる。そうだよなーと絶望を抱えながら生きていくしかないと、思わされるんですよね。
どんよりと沈みたい気分の方に、おすすめの一作です――(?) 

 

女の一生 (新潮文庫)

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