本棚のすき間でつかまえて

本の感想をばかりを書いているブログです。

J.M.クッツェー「恥辱」 翻訳:鴻巣友季子

デヴィッドが捨てたもの

南アフリカケープタウンで大学教授をやっているデヴィッド。彼は二度の離婚を経験し、今ではもう結婚には興味がなくなっている。性欲は娼婦で満たせばいい……、そんな考えに落ち着いていた。しかしある日にデヴィッドは一人の女生徒に惹かれてしまう。彼は理性的であろうとしながら、結局は女生徒を手籠にしてしまう。
その事実は教授と学生という関係上スキャンダルになった。デヴィッドは周囲から叩かれ謝罪を求められた。大学側は体裁があることだから世間が納得するように、どんな形であれ謝罪してくれとデヴィッドに頼んでくる――、そうすればこの先も大学に席を置いてやると、なかば脅しをかけてくるのである。
デヴィッドには言い分があった。彼の女生徒への想いは本気だった。だからデヴィッドは大学を辞めることにした。謝罪など彼のプライドが許さなかった。形式ばかりを求める社会に嫌気がさしていた。そして大学を辞めてしまうと田舎で農園を営んでいる娘ルーシーの元に身を寄せるのである。

 

デヴィッドは田舎で何を見たのか

田舎へ暮らすこととなったデヴィッドだったが、彼はそこで営まれる惨めな文化を蔑んだ。知的水準の低さに辟易としていたのである。都会の文化に馴染んでしまったデヴィッドにとっては田舎での生活は耐えられなかった。彼の意識だけはあいかわらず文化的で現代的であるとの自負があった。
ただ娘のルーシーは奮闘して農園で生計を立てようと頑張っていた。彼女は泥臭い暮らしだが実直にやることで確かな生活が築けると信じていた。デヴィッドは協力しなかった。彼は相変わらず飄々とした生活を送っているのである。
ある日に悲惨な事件が二人に襲いかかった。南アフリカの田舎ではまともな治安など維持されていなかった。貧困がもたらした野蛮な暴力に巻き込まれてしまうのである。
その事実に打ちのめされてしまった二人。デヴィッドはルーシーに、こんな生活を続けるべきではないと訴えた。しかし彼女はショックを受けながらも頑なにこの生活を守ろうとする、という感じ。

 

デヴィッドは恥辱を受けたのか?それとも……

都会の文化的生活と田舎の非文化的生活……こう書くと語弊がありますが、今作で扱っているのはまさにそこに現れる格差なんです。南アフリカという舞台を考えるとその差は相当大きいのだと思われる。言い過ぎかもしれませんが秩序と無秩序くらいの差があるのかもしれません。
この小説ではデヴィッドが都会を象徴し、ルーシーはどちらででも生きられるなかであえて田舎を選択する。彼女は田舎を象徴するというよりは都会を否定する者として存在する。地に足をつけた生活にこそ人の幸せがあるのではないかと信じている。
都会と田舎……どちらが正解ということは無い。ただし日本のような安全な国に住んでいる者にとっては危険を顧みずに田舎を選び続けるルーシーの気持ちは理解しきれないものがあるかもしれない。
読者である僕自身、野蛮な非文化な中で生活を送れるかと問われれば、きっと断ると思う。都会の秩序のなかで安心して生活をしたいと願うと思う。いや、もっと露骨かもしれない。卑しさや野蛮さが残る田舎の文化に眉をしかめるだろうし、蔑んだ目を見てしまうかもしれない。
デヴィットの感覚とはまさにそんな感じだった。比較するとはっきりと分かるのだけど……、デヴィットは大学のスキャンダルの時には声を荒げることすらしなかった。彼は平然としていたのです。むしろ彼を糾弾しようとする奴らを罵るように、自分が築いた生活を捨て去る道を選んだのです。プライドを大切にして、そのまでの日常をあっさりと捨て去ってしまうのです。
ここで何が言いたいかと言うと――、都会の生活はまだ捨てることが出来る余地があるということ。
しかし田舎はどうなのか? 今作の秀逸さはここでのデヴィットの態度によって、それを明確にしたことある。彼は事件の後、田舎の実体を知って声を荒げるのです。大学のスキャンダルではあれだけ冷静だったのに、彼はヤケになり真っ向から田舎を否定する。彼は露骨に嫌悪を表すのです。叫んでまでもそれらの否定するのです。
デヴィッドとルーシーの価値観は交差する。この二人に関してはどちらが正しいということはない(二人には選択肢があってどちらかを選べる立場にいる)、一方でそこでは選択肢がない者の姿だけが明らかになる。取り残されたどうしようもない人達の姿がチラついてしまうのです。そこで生きざるを得ない者はどうすればいいのだろうか。
僕はデヴィッドを否定するつもりはない。僕もデヴィッドと同じ選択をするのだと思う。その時には仕方がない――、理性的な選択だろうと自分を納得させるのだと思う。「安全を選ぶこと(自分は選べるのだから)の何が悪いというのか。それを選択するのは当然ではないか」そう言いつつも、そこに感じる何かしらの罪悪感こそが今作が浮き彫りにしたものなのだと思う。
「恥辱」――、このタイトルに著者が込めた思い。読めばあれこれと考えさせられることになる。デヴィッドは恥辱を受けたのか? それとも恥辱を与えているのか? 

 

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

恥辱 (ハヤカワepi文庫)