本棚のすき間でつかまえて

本の感想をばかりを書いているブログです。

マーク・ハッドン「真夜中に犬に起こった奇妙な事件」 翻訳:小尾芙佐

知的好奇心が……

今作は全世界で1,000万部を超えるベストセラーとなっているらしく、イギリスでウィットブレッド賞、ガーディアン賞、コモンウェルス賞最優秀新人賞などを受賞し、日本では第51回産経児童出版文化賞の大賞を受賞しているようです。

児童文学……? 僕は本を買ってからこの事実に気が付きました。そのせいかこの本にはしばらく手が伸びずに積読山に埋もれていることになりました(数カ月)。
先日、頭が疲れているのか簡単なのを読みたい気分となり、ハッと思い出し「そう言えば!おあつらえむきがあるではないか」と手にしたのが今作。
結論から言うと、これは児童文学なのか?という程に知的好奇心を刺激される本でした。これを子供の頃に読める子供がうらやましい。大人だって十分過ぎるほど面白い一冊でした。
以下、あらすじと感想。

 

簡単なあらすじ

これは15歳になる少年クリストファーの物語です。クリストファーは発達障害自閉症)を持っていて微妙な人間関係をうまく捉えることができなかった。暗黙の了解、あうんの呼吸、空気をよむ、などなど――、日常生活を円滑にすすめるための、それらのコミュニケーションを取ることができなかった。誰かに体をさわられることが嫌いだった。大勢の人がいる場所が嫌いだった。黄色と茶色が嫌いだった。とにかく予測が出来ないことに直面するとパニックを起こしてしまうのだった。
一方で数学が得意だった。科学や物理が好きだった。規則正しい何かの法則を見つけることが好きだった。秩序を見つけることが出来たならば、自分の気持ちを落ち着けることができるのだった。
クリストファーはある晩に近所で園芸用のフォークでくし刺しにされた犬を見つけてしまう。犬は死んでいた。シアーズさんのところの犬のウェリントンだった。
シアーズさんにその場面を目撃されたクリストファーは犯人に勘違いをされてしまい、やってきた警官に逮捕されてしまう。その後、父親が助けに来てくれたことで誤解は解けるのだが、クリストファーはこの時に犬を殺した犯人を見つけようと決意するのである。

 

ズバ抜けた思考の面白さ

この本はクリストファーによって書かれたという体裁をとっている。彼はこの事件を探偵した記録として、そして推理小説として仕上げようとしているのです。
それゆえに目線はクリストファーであり、自閉症の少年の心の内を書き表すつくりになっています。これは労作だと言えると思います(著者ハッドンは知的障害の子供たちとのふれ合いをヒントにしてこれを書いているようです)。

クリストファーはとても頭のいい少年です。彼に欠けているのはコミュニケーション能力と他人の真意をくみとる能力。曖昧に言われても解らない。筋道立てて正しく言ってもらわないと解らないのです。
一方で数学的思考、論理的思考はズバ抜けている。この小説の面白さはまさにこのクリストファーの思考であり、彼の頭のなかには我々がとても記憶しておけないような知識がつまっているあたりにあるんです。
クリストファーは素数が大好きだった。数十ケタの計算を暗算ですることが出来た。数学で上級クラスA(大学入学レベルを示す学業修了認定)取るレベルに達していた。クリストファーが精神を安定させる方法は2の倍数を数え続けることだった。それも2の45乗――、35184372088832なんていう気の遠くなるところまでも数えられるのです。
それだけではない。宇宙の仕組みを知っているし、人間の体の構造だって知っている。科学に詳しい方なら聞いたことがあるかもしれないが、数学で過去に議論をまき起こしたモンティ・ホール問題や、脳科学で脳のなかにいる小人を表すホムンクルスなんて名前まで出てきたりして、とにかくクリストファーの知識は多岐に渡るです。
これは科学が好きな人ならば、読んでいて楽しくなること間違いなしだし、子供が読めばこの世界を色々な形で表してくれる科学や物理の知識に面白おかしく触れることが出来るはずです。

 

解りあうには、解ろうとしなければならない

クリストファーはこの社会において平均からは外れています。そして他人と上手く関われないことで不当な評価を受けているとも言えるかもしれません。何がそうしているのか? 我々が当たり前だと思っている普通とか一般的とか常識とか人並みとか、そう言ったものがクリストファーの生き方を妨げているのだと思われます。
この話はクリストファーの視点のため、他の人が何を考えているのかは語られません。しかしそれらはクリストファーが気がつかないだけであり読者である我々は、クリストファーに対する周囲の人々の不当な反応に誤りを見つけることが出来るのです。例えばクリストファーが何故避けられているのか? それは彼を正しく理解できていないからだけであり、周囲の人がそれぞれのなかで常識と思っている枠内だけでしか思考が出来ていない証拠なのかもしれません。
ただし、当の本人のクリストファーはそんなことはおかまいなしです。クリストファーはクリストファーで彼のつくり上げた世界のなかで、喜びや楽しみや怒りや苦しみを覚えています。だから我々の勝手な気遣いとか思惑とかはまったく関係ないのです。

この話のすばらしさは解り合うためには、解ろうとすることが必要だと教えてくれることです。クリストファーを取り巻く人たちは最初は手に負えないクリストファーによってバラバラになっていきます。でも彼を愛する気持ちがみんなの気持ちを変えていく。壊れた関係をまた一から作りあげるということは、相手をより理解することに他ならない(しなければ作りあげることはできない)。そしてその努力を惜しまないという人達の気持ちが、今度はクリストファーに伝わっていくのです。
これは児童書ということですが、子供だけではなく大人も得るべきものが多い本だと思います。

  

夜中に犬に起こった奇妙な事件 (ハヤカワepi文庫)

夜中に犬に起こった奇妙な事件 (ハヤカワepi文庫)